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プロフィール

HN:
眞譽
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1965/06/28
自己紹介:
香椎の会のブログです。
講義の感想や日々思ったことを綴っていこうと思います。

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父の祥月命日に思う

今日は、父の祥月命日。平成25年1月27日早朝、父は大病院の片隅で亡くなった。
父の生涯を考える機会を頂きながら、正信偈をあげた。
父の生涯は全て私の為にあったのだと、そう思う。
私の為ということは、私が私の一生を全うすることである。
全うするとは、「本来の私」へといのちが尽きるまで歩むことである。

つらつらと聖典を拝読しておるとつい目が留まることがある。
今日は特別な日なだけに、気がつかない深い思いが目を留めさせたのかもしれない。
今回、目に留まったのは教行信証化身土巻。
教行信証の化身土巻の一つのクライマックスでもある「悲歎述懐」の後の「三願転入」の後、
ご自釈での「五説」そして「四依」の部分の最後の方。
これは「大智度論」からの引用で龍樹の文言である。

「依智」とは、智はよく善悪を籌量(ちゅうりょう)し分別す。
 識は常に楽を求む、正要に入らず、このゆえに「不応依識」と言えり。」(谷派p.358)

現代語訳
「真実の智慧に依るとは、その智慧はよく善悪を比較し区別するが、心はただつねに楽しみを求
めるだけで、肝心の正しい道にはいていかない」(石田瑞麿師訳)
とある。
この中で「識は常に楽を求む、正要に入らず」の部分。
「識」はここでは「心」と訳しているが、私としては「外界からの影響を受け、反応したもの」
と捉えたい。「心」とは「反応」である。ただの反応であるから、ぶつかって反射したもの、
とも取ってよいかと思う。「反射」するのだからどこに向っていくかわかったものではない。そういう在り方が「識」=(私たちの)「心」なのである。

また、教行信証に戻るが、上記の後にご自釈があって、道綽禅師の「安楽集」が引かれてある。
そこに、私たちの在り方を色々な呼び名で呼んでおられる。
「信想軽毛」(風で飛んでいく程軽い毛のような信心)
「仮名」(ただの概念の塊)
「不定聚」(悟れないもの)
「外の凡夫」(外道凡夫…凡夫の下の下)
等と手痛い表現をされている。
そして、その引文の後、「大集月蔵経」を引かれて、そこに
「痛焼の衆生」
とある。これは、本当に胸が痛む表現だ。こんなにも痛まれているのは
「識は常に楽を求む、正要に入らず」
からであろう。これは他人事ではない。「私」のことである。
「如来、痛焼の衆生を悲哀して、特(こと)にこの経を留めて、止住せんこと百年ならん、と。」
(谷派p.359)
ここが大無量寿経の流通分につながる文言となっている。

「当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲哀愍をもって特(こと)にこの経を留めて止住すること百歳せん。」大無量寿経・流通分(谷派p.87)

ここをもって、私の人生が全うされるには、我が在り方を知らされ、仰ぎ見る世界の中で
「本来の私への道」を歩むほかないのであると知らされることである。
「願生浄土」の歩みほかないのである。
「願生浄土」が「欲生我国」に支えられているのである。

拝 眞譽



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香椎の会のホームページ移行

2015年11月4日
今日、香椎の会のサイトの移行を行った。
元々のプロバイダのHMサービスの終了が近づいたから思い切って移行した。
元々使い勝手が悪く、更新さえままならなかったが、
今回からは更新がしやすいようで助かる。
また新たな「出遇い」があることを望む。

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次回の香椎の会日程

次回は、平成25年11月8日(金)18:30~です。
内容は、蓮如上人御一代記聞書 第69条(お東では70条)です。
「他流には「名号より絵像、絵像よりは木像」といふなり当流には「木像よりは絵像、絵像よりは名号」といふなり」

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年頭のことば

ご恩というものを思わない。だから、自分でやったという思いしかない。
(細川 巌『正信偈讃仰』)

細川先生の言葉を年頭に頂き今年も一年、聞法生活を継続一貫続けたいと思います。

光華女学園HPより

http://gakuen.koka.ac.jp/words/h24_06.html

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孤独

孤独ということも、孤独ということは「状況」の問題ではないんです。人間の意識構造が持っている「存在」の問題なんです。取ろうと思ったって取れるもんじゃないんです。意識構造そのものが、孤独を抱えておるんですよ。「独り生まれ、独り死す」ということを自覚しているんです。だから孤独というものは人によってあったりなかったりするもんでないんです。孤独感はあったりなかったりするんですよ、孤独感はね。だけど人間が孤独であるということは「存在」が抱えている、「存在」の問題なんです。空しいということもそうです。真実なるもの、確かだと言えるような生き方をしたい。どうしてそんなことを思うかというと、このまま死ぬのは空しい。生きたと言えるような人生でありたい。こういうことも人間の意識構造が持っている「存在」の問題ですね。

「迷いに還る」佐野明弘師・・・・35頁・・・より抜粋

私達は本質的な「孤独」を潜在的に自覚していて、それをごまかそうごまかそうともがいている日暮らしの中にいるんですね。(眞譽)

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